子供たちと走り抜けた関西中学受験の備忘録&中高一貫校でのアレコレ

うちの子たちの中学入試振り返りと、その後の学生生活でのあれこれを、時系列はばらばらですが気侭に書き散らかしています。

合格はゴールじゃない

わかっていますよね、大人は。

 子供も理屈はわかっていても、心の中ですんなり受け入れてる子ってどれくらいいるんでしょう。

 

うちの2人は2人とも、中学生活が始まってから時期は違えどゴールと思ってるだろう脱力した生活をしていた時期がありました。そしてこれからもきっと、たぶん、ある。

まず一回や二回では済みません。波のように押しては引き、そしてまた押し寄せて。その繰り返しの中、自分で危機感を持ち、対策を試行錯誤していくなかで自主が身についていくんだろうなと思います。だからきっとまだまだ私と子供たちとのバトルは続きます。

だんだん親の負荷が減り、気がついたら自分で決めてるやん、みたいな感じで私の子育ては卒業に向かっていくのかな、なんて思うのです。

その山や谷も必要なことで、心配するしそれで私に白髪やシワができちゃうかもしれないけれど、彼らの人生的には大歓迎。ただし谷に落ちたままではなく、自分なりの復活できるならば…!という前提が必要なんですけどね。

大歓迎と思っているから、レールの見えてしまう塾に否定的なのかもしれません。人が作った道をあるくのではなく、道を探して、レールを敷ける人になってほしい。子供たちが進学した学校に期待するのは、そんな先輩がたくさんいらっしゃるに違いなく、いつかは自分もと思ってほしいという部分なのです。

 

昨日も友人に、子供に色々望みすぎ、心配しすぎと言われました。心の中ではもーっと放任でいたいのです。あと5ヶ月後に始まる新学年からは何もチェックしないしフォローしないから!と言い張りながら、こまめに声かけする昨今。

さて、ほんとに出来るかな?。昨日の友人からは、来年の今頃も同じことを言ってると予言されました。私もややそんな気もする…。

 

ちなみに、大学もゴールではないし、就職もゴールじゃない。大人はみーんなわかってるはず。

私は、それは親の子育てのゴールみたいなものだと、ようやくわかりました。とっくにわかってらっしゃる方も多いでょう。でも、どれだけ区切りと思っても、親の心配は親子であるかぎり続くんだろうなぁと思います。

自主と放任

『自由と放任はちがいます』

 

ある学校の先生の言葉です。この一言で、私が学生時代から抱えていたもやもやがすーっと晴れました。

自由を謳った学校は多々あります。灘、東大寺洛星同志社、神女…。自由を与えてもちゃんと子供達が自ら考え自制できる、という考えからのよう。素晴らしいです✨。

 でも、みんながみんな、入学して即自由自主を守りつつ謳歌できる???…わけないですよね。やはり戸惑ったり間違ったりする子だっています。

 

そもそも先生・学校側も、正しく自主を理解してるのか?。その言葉を良いことに、中身は放任ではないのか?。

私の出身高校は、今は知りませんが、当時は自主自律を掲げていました。公立高校ですが、そういう学校はそれなりに存在します。でも、本当になーんのフォローも無く、躓いても自力でなんとかしないと落ちるところまで落ちます。それはもう容赦なく。

逆に、自分でしたいことが決まってる生徒には天国です。ちゃんと単位を取っていれはば内職と言う名の他科目の勉強をしていても怒られない。だから、現役で東大京大に合格する子も少なくないけれど、一浪くらいする子もそれなりに当たり前に居ました。

中学までの、なんとか進学先を決めてあげようという教師の姿勢とは全然違う指導。ここで勘違いする生徒も多々います。私もその1人。学校の勉強がちんぷんかんぷんになった時のストッパーが無い。たいていそんな生徒は自ら先生に聞きにいけません。だって何がわかってないかすら、わからないから。

 

上の言葉を聞いた時、この発言をされた方が続けて言われました。『勘違いしてる教師も多い』と。

責任転嫁も混ざってないとは言いませんが、きっと私の出身校は放任だったのです。なのにどこかでちゃんと掬い上げてくれると信じていた高校生の私。それなりに進学、就職、結婚、出産と人並みの生活を送ってきたものの、あの高校入学の時点に戻れたならば、学校を信じ切らずに自分で計画し対策とりなねと自分に教えてあげたいです。

 

学校がちゃんと生徒に自主を導いてくれるのか?。

学校という箱に放り込んだままで勝手に染まると思ってないか?。

この見極め、とても難しいと思います。子供自身の持つ力が学校側の力を必要としないレベルから、きっちり教え込まれて身につく子まで。入試という選抜は等しく勝ち抜いてきてはいますが、人の数だけパターンはあるもの。十把一絡げに指導できないのが現実でしょう。

我が子が受験塾通いを始めた時の暫定目標が公立中高一貫校であったことは、前に書いたと思います。私立に舵を切ったのは、公立には教師の転勤がある、ことが大きいです。教師の意識、転勤したての人って勘違いしたまま生徒を指導したりしないだろうか、と。少なくとも、数回足を運んだ一貫校は、私の母校と同じ気配がしてました。

自主を指導するには、自主と放任の違いがわかってる学校でないとできないと思ったのです。少なくともその学校の指導方針に染まり、色んな化学反応を起こす子がいると経験から知っている先生方が揃っていないと。常日頃から、何年にも何代にも渡って自主を教えている学校の教師ならば、子供たちと接している中で手綱の締め具合を感覚でわかっている可能性がある。

たぶんですけど、指導する側からだと管理の方が大変ですがシンプル。自主は気をつけないと放任にすり替わってしまうけれど、生徒に意識付けできたら効果絶大。放任はただひたすら先生が楽。こんな図式が見えませんか?。

当然我が子たちは入試で選別されていますが、私も学校を選別したのです。入れて頂いただけではなく、学校の指導方針に共感して6年を託そうと考えたのだと思っています。

 

ちなみに、ある学校は校長が変わられて空気が全く違うものになりました。

全員で大学入試に向けて6年間頑張ろう!という団体戦の熱い指導から、エリート然としたクールな指導に。前の方が好きだった私は、早々に候補から外した経緯もあります。

 

自主と放任の違い、この話をされたのは東大寺学園の清水教頭であったことをお伝えして、このお話は終わりにします。

 

 

 

友達をつくる力

友達を作る力。

 

これって未だに謎で、日々模索しています。学生時代をいかに充実させられるかは、友達次第と言っていいかもしれないと思うのです。

生まれ持った魅力で、こんなことに悩まない人も多いでしょう。どうにも人を惹きつける人間っているものです。

残念ながら私はそうではないし、たぶん息子は私の要素を引き継いでる気がします。そして灘校生、もしかして全体的にこういう対人力はウィークポイントかもしれません。

そんな中で、昔も今もこれかな?と思って実践中のこと。


前の方の記事で、子供にやらせておきたかったこと、に体力作りのためにスポーツと書きました。

今は、できれば塾通いを始める前にチームスポーツを。更に可能ならば、色んな学校の子が参加するようなチームが良いと思っています。

なぜか。

 

チームスポーツはチームメイトと協力しないと頑張れません。もちろん失敗を繰り返しますが、人との距離感を学べます。

学校がばらけたところから集まると、流行りや行事のタイミングも違い、価値観も微妙に違うのを当たり前にうけいれる。

などなど、人との距離感を掴むのと、コミュニケーション力をつけるのにいい、というのはうちの夫の意見でした。 それで、息子は幼児期に自宅近くであったサッカー教室→幼稚園のサッカースクール→少年団とすすみました。

 

娘に関しては、チアや、新体操や、同じサッカーチームの女子部に…と思ったのですが、小学生時代は思い切りインドア派の彼女は全力拒否。

また、友達作りもそれなりに不自由しそうにない会話力があったので、中学からは必ず運動部を合言葉にスポーツをしないことを許しました。いまや体育会系な部活女子です。部活様様✨。

今でも人付き合いが上手いとは言えない息子ですが、おそらくそのチームに居なかったら、もっと下手で友達作りに苦労しただろうと思います。

 

きっともっといい方法もあるでしょうし、それはぜひ教えてほしいです。

私たち大人も、子供の頃からなんの問題もトラウマもなく人間関係作れて居た人なんているでしょうか?。色々失敗したり経験したり、仲良くなったり疎遠になったりして、今がありますよね。

その経験を積ませる場、そしてスポーツを通じてなら失敗も帳消しになるような経験ができることだってあると思うのです。

 

それでも、恒星のように人を惹きつける人の引力はすごくて憧れてしまいますが、なれないものはなれない。

自分に見合った方法で人と関わり、適度な距離をとり、困った時は対処し、助け合い、しなやかに立ち直ってまた歩き出せるような人間になれるようにと願ってやみません。

中高一貫校と大学付属校

一口に中学受験といっても、この先何回受験というチャレンジをするつもりかで、学校選びについてこだわる点は変わります。

 

関西には名門大学付属の中高も多々あります。

中学でその付属校に入れたならば、よっぽどのことがない限り大学までエスカレーターで上がれるでしょう。学部選びには選考があるかとは思いますが。

その切符を手に入れ、10年計画で色々な経験をしていくのも、子供の人生にとって豊かで面白い財産になるでしょうし、かけがえのない友達も作れると思います。

 

また、高校までの6年計画で、大学は再度挑戦するという選択の学校選びもあります。この場合、高校は大学受験を見据えた過ごし方をしなければならない為、ゆったりとした時間が過ごせるのは中学の間だけ。

最難関と言われる学校はほぼこちらですが、最難関に行ったからといって希望通りの国立大学に行けるとは限らず、大学付属にすら行けないことだって起こり得ます。

 

さて、子供にとって何が一番良いのか?。

何度も書いていますが、うちは6年後の仕切り直しのある学生生活を選びました。身も心も大きく成長するこの6年間の先の道は、中学入試よりも自らで選び勝ち取ったものであってほしいと親が願い、子達はそれを受け入れたからです。

よく神戸女学院は大学があるといわれますが、高校から内部で進学される方は一桁程度と言われています。ほぼ外部。浪人しても外部。それくらい気概のある女の子が多いのが神女という学校だと思います。

 

また、最近はさまざまな学校が生き残りをかけて大学と提携や内部進学枠を確保したりと試行錯誤されているようで、中高が高いレベルに行けば大学も、ではなくなってきています。この辺りの先の進学も踏まえての戦略は、小学生の子供では想像もつかない話。親が情報を掴み、考えるべきことですね。

 

いずれにせよ、我が子のことを一番考え悩んでいるのは保護者の皆様です。ベストの道が得られますように…!(うちの子たちも含めて…)。

 

男子校と女子校と共学

学校選びで、これって重要視されますか?。

 

それなりに少なくない率で、重視するというお話を聞きます。しかも、男の子と女の子での視点は微妙に違う気がするのです。

 

男の子の男子校傾向。

女の子は共学傾向。

私の周りだけでしょうか?。

 

もちろん実際に進学したり受験したりするのは様々ですが、関西は最難関に男子校が多いからか、男子校だから最難関レベルを維持できるのか、東大寺、甲陽、星光、六甲、洛星、灘と男子校が健在です。今は共学になった洛南も高槻も元は男子校。ほかの地方に目を向けたら、開成、武蔵、海陽も男子校。

うちは息子が男子校にこだわりました。小学校でやや口のたつ女子には言い負ける傾向のあった彼を、女嫌いにしたくなかったんです(すでに手遅れかも。女子要らんと言ってましたから)。

男の子には男の子の精神的な成長曲線がある。

すでに大人な心の成長を歩んでる女子の目が光ってるところでは出来ない、幼くておバカなことを見たり経験したりする環境で過ごして、情熱を傾けられるものを見つけてほしかった。

 

そして女子は、共学志向が強いように思います。それも子供自身が、女子校はドロドロして嫌だから共学に、という話を聞きます。

人間関係がドロドロしてる…経験した?見た?とは思うのですが、広く女子校に持たれてるイメージですね。

 

かくいう私も同じ感覚を少しは持っていました。娘の学校選びにあたり、おおたとしまさ氏の『女子校という選択』を読み、西大和と帝塚山に何度か見学会に行って、イメージは変わりました。

そして、私が高校で学力的にコケた理由もわかった気がしました。

 

まず、人間関係ドロドロ論。

もちろん人間が集まれば何かしらの揉め事はあります。ありますが、女子だけとそこに男子の存在があるかないかで加減は違う。男子が居ないと、割とあっさりとしているようなのです。女子を女子たらしめてるなは男子の目⁈、かもしれません。

実際、女学院に娘が通っていますが、ドロドロというより先輩後輩の洗礼にあっぷあっぷしていて、同級生はみんな同士・戦友のような感覚ですごしているようです。友達関係の悩みは全くゼロではありませんが、そこに恋愛が絡まないからでしょうか、さっと引き際を見極めているように感じます。

だから今は、ホントに女子校だからドロドロ?と、実は半信半疑。女子校だからではなく、たまたまそのキャラクターの子が多いだけでは?という思いの方が強い今です。

 

そして男子と女子の精神的な成長曲線が違うようなに、学力の成長曲線についても同じではない!。

ここ、これが私の失敗体験と重なりました。公立ですが、中学までと高校とで全然指導法が違い、戸惑っているうちに3年間すぎた…というお粗末なものです。その原因は単に私の勉強不足もありましたが、そもそも勉強方法がわからなかった。ずっとわからなかった。人生やり直すなら高校でちゃんと勉強すると言い続けてきましたが、たぶんあのままでは同じ結果しか出せなかったでしょう。

男子向けの導き方をしても、女子で付いていける子とそうでない子がいます。女子には女子の演習方法があり、学力成長スピードがある。これは西大和の副校長先生も帝塚山の先生も力説されていました。この2校は共学ですが、中学はクラスが男女別…つまり『別学』です。指導方法が違うからです。ここで初めて、自分が高校の時にどうすれば良かったかわかった気がしたのです。

 

もちろん男子と同じスピードや方法で理解できる女子もたくさん居ます。そんな子を、むしろ男子より優秀な女子を集め、その子たちが精神的に中学時代は幼い男子を引っ張り上げて高校から横並びに頑張るというスタイルを取っているのが洛南であり、この春から共学になった高槻だと思います。

ただこの洛南、高槻も、男女比率が同じではない。これがポイントで1:1にはしていません。クラスで女子は1:4か1:3になるよう取られています。この数がベストバランスなのでしょう。

 

もちろん男女同比率の学校にも、そこでしか得られない経験がたくさんあります。

協力して作り上げる体育祭や文化祭、部活、甘酸っぱい青春は共学ならでは。残念ながら我が子たちはそこでの人生は転校しない限り選べないので、現状維持。

彼氏彼女との制服着て徒歩下校…なんてものは味わえないんだろうな。

 

ちなみに、『男子校という選択』という本もあります。

☆ある学年にての塾の合格者数

暇な子たち…💦。

リューは、同じ塾出身の友達と一度数えてみた、と自慢げに言ってました。

 

塾の発表してる合格人数−灘を辞退した人数=同級生として在学してる同塾出身

 

各塾の公式発表を合計すると、灘の発表人数より異常に増えるのはよく聞く話。

あちらもこちらも水増ししてるとか、重複してるとか言われていたので、私も正直どうなんだろう…と思っていました。思っていましたが、塾内での順位や結果を疑う必要は無いとも判断していました。

 

灘は合格したものの、通学に遠いと東大寺に進学したお子さんが、一桁人数ですがおられます。通学時間で悩んだとおっしゃるお母様もいらっしゃいます。何が何でも灘という価値観に縛られないでいいのは、関西の最難関男子の学校層の厚さが支えているように思います。

 

で、ほぼ一致。

大元の6Nの人数は1年間一緒に走ってきたメンバーの人数で、顔も見たことない、ネットだけテストだけの子は含みません。

同塾出身のお母様たちとの話題にこのテーマが出てきても、リューたちの学年は非常にクリアな結果なんですよね。

となると、噂ってなんなのでしょう。

 

確実に言えることは、子供達の頑張りは本物✨

 

 

塾に入れたくなる瞬間(再掲)

塾にはいれない!と決めてる我が家ですが、もちろん決意が揺らぐような波が来る時があります。

さざ波もあれば、大波もあります。

 

折しも先日、灘は個人懇談。

2学期の中間の結果をいただきました。これがもうもうもうもう、酷かった。灘辞めたら?と言いたくなるような結果でした。今まで何回か言ってますけどね。

こんなものを突きつけられた時、塾無しは間違ってるんじゃないかと不安になります。

 

でも。

理解できてなくて点が低い、のではなく。

やってないから点が取れない、のです。

つまり私の決意への、リューからの挑戦状か⁈。やる気スイッチはちょくちょく入っているように見えたけれど、ゲームやスマホの誘惑が勝手に自動OFFにしてくれるようで。

幸いにも、まだ私がわかる範囲。学校から提出が迫っている課題がわからず唸っていたリューにサクッと教えてあげて、ひさびさに尊敬の眼差しをちょっぴり貰いました。

私は公立中高で学んだだけだからね。それでもまだ解いたり出来るんだからね。灘生なら勉強しなくても公立よりできるなんて幻想持ってるなら即捨てて。勉強はしないと身につかないよ。ちなみに英語はもっと音読して!。黙って勉強してて英語は話せるようになんてならない!。なんて感じで数学のことが英語にずれていったりもしましたが💦、これ幸いにと彼の姿勢を変えて欲しいと懇々とお話。マイコからは叱ってるように見えてたらしいですが、話し合いです(笑)。

 

塾はやっぱり必要?と、時々はやはり揺らいでしまう。子供の成績や勉強に向き合う姿勢が、親の不安を刺激して煽ってくれる。もうそれはそれは見事に。

塾無しで上位層に居るなら、それでも塾が必要となるご家庭はそんなに多くないんじゃないでしょうか。私も上位1/3にいるなら全く文句言わないだろうし、平均あたりをウロウロしててもまぁ言わないなぁ。最初に書きましたが、東大理3や医学部志望じゃ無いというのもあるからかもしれません。

今回は特に酷く、夏休みのダラケ具合が見事に反映されていました。 

 

私は挫折から立ち直ることで、強くなるし本当に力がつくと考えています。ここは夫も同意見で、採用面接時に新卒でもキャリア採用でも、彼は失敗体験を必ず聞くそうです。

灘校生は、基本第1志望に合格した子達。その点では挫折知らずです。第1志望で悔しい思いをした子達が、どれほどそれを昇華させて次の力に変えていることか。西大和の副校長先生が、この悔しさこそ力になりますから!と力説されてたのには、心の底から頷かせていただきました。

だから、我が子にはぜひ中高6年間で色んな失敗をしてほしいと思うのです。塾ありきで灘でも上位層にいると挫折知らずで大学生になってしまうかもしれない。そのまま社会に出て…心が折れない?、傲慢にならない?。勉強だけで太刀打ちできないことも多々あります。ならば今、散々学校内で痛い思いして、自力で立ち上がってまた歩き出して、こけて、立ち上がって…を繰り返してほしいなと。

これを今の私や子供達のスタンスから言うと、別名『負け惜しみ』という日本語がピッタリです。

 

思えば幼児の頃から、こけても手を出さなかった私。

スキーに連れていっても自力で立ち上がらせてました。ズルズル滑り落ちてもアイスバーンの上級者斜面でなければどこかで止まります。教えても何にもなりません。そんなことは頭で覚えることじゃなく、経験して体で覚えることだから。

ガンガンのスポーツ少年達の集まりの、リューが小学生の頃に在籍していたサッカーチームで彼は泣き虫キャラでした。その中で、彼の個性か強みを、頭でなく感覚で活かすことが出来るようになり、認めてもらえるようになった。親やコーチが教えるものではありません。なんとかしたい気持ちで、自分で打ち開く道です。

卒業でチームが解散したのでリ・スタートです。前回と同じことが通用するかはわからないし、新たに試行錯誤するはずです。

トライして成功もあれば、失敗して方向転換したり微調整したり。そんなことをいっぱいするための中高一貫だと思ってます。

私学という似た性質の子達が集まる中で居心地良くても、社会に出たらもっと多様な人が居ます。そこに対処する力は、大人になったら身につくものじゃないと思うのです。場数が必要、ストレスを受けて流す術を1つといわず2つ3つ身につけてほしい。

だから、まだ『負け惜しみ』を貫きます。そしていつ路線変更しても大丈夫なように、貯金を頑張ります。リューには自爆して貴重なチャンスを作ったことを、私の予想通り〜♬と煽ってあげようと思います。

どこかでリュー自身がねをあげて、塾に行かせてくださいと言う日まで。その時は…考えます。考えて、きっと何かしら行かせるとは思いますが、たぶん今じゃない。今はエネルギーと経験値と、親はお金を貯める時期かな。

 

ちなみに。

マイコはある夏休みに一度だけ夏期講習に行きました。あまりにも1学期が悪く、彼女から行きたいと言ったのです。

でも私はお金を出さないので、マイコがお年玉貯金を切り崩して行きました。自費は…すごい原動力でした。無駄にしたくないと思ったようで、しっかり元を取るべく勉強し、その後二度と貯金を使いたくないと学校での勉強をきっちりしています。失敗した科目は先生に対策を聞いてきたり。

神女は外部に出るための指導はないので、いよいよ受験期は対策を考えなくてはいけないし、通塾も遅ればせながら始まると思われますが、今は彼女の内側でいい感じに化学反応しているので、行けるところまでこのまま走ります。

後日、こっそりお年玉貯金を補填してあげたのは、まだ内緒。