子供の義務
一昨日バトルしたばかりでカッカしてるので、言葉が過激になってるかもしれません。
ここに書くことでクールダウンできるかもと吐き出させていただきます。
親には子供に教育を受けさせる義務があります。でも、年間○十万近いお金を払って、私学に行かせる義務は無い。私学はあくまで子供の気持ちに沿った応援だというのが我が家の方針。
じゃあ、子供の義務は?。少なくとも私学に行かせて貰えてる子は、真剣に授業を受け、部活や課外活動に精を出し、定期試験のたびに必死になり、提出物を出し、友達を作り…なんて学校生活に一生懸命になることだろうと考えます。
それなのに昨夜は息子の未提出課題を見つけてしまい、私、大激怒。学校辞めなさいを連呼しています。怒りすぎて情けなくて泣けてしまいました。
そして昨日終業式で、またなんともコメントしがたい成績を持ち帰り。提出物で大きく評定が変わるとは思いませんが、やって当たり前のことをできないのは情けなさすぎる。将来、そんなことが仕事に出てきたりして、納期の守れない大人が出来上がりそうで恐い。
でも、こればっかりは性根を入れ替えてくれないと、どうにもならない気がする。この夏休み、高野山や比叡山で修行、してもらえないかな…。
警報時の判断
子供を電車通学させる身としては、遠ければ遠いほど心配は増えるものだと思います。先日の地震の時に痛感していたなかでの、大雨。
ちなみに警報がではじめた木曜は、神女は期末最終日、灘は期末初日のはずでした。
どちらの学校も、警報が各々所定の市町村で出た場合に自宅待機、次の判定時間が二段階ほどで設定されていて、警報が無くなった時点で○時間目から授業をする、もしくは休校というのが規定されています。
今回は、今までの警報とは扱いが違いました。雨という不確定なもので延期になり、雨がいつ止むかで想定が変わってくる。それは5日が休校になった判断も早めでしたし、6日も7日も休校と決定となった判断も早かったです。
もちろん、それは遠方の、特に灘は新幹線通学の生徒もいるなかでの決断だからでしょう。ましてや今回は規定とやかく言えるような状況ではありませんでした。明らかに、ひっきりなしに携帯の警報が鳴り、今までの大雨警報とは違う雰囲気がしていたのだと思います。
2人とも、休校分は翌週に振り替えられました。神女は今日で1学期が終わり。灘は1日あたりの科目数が増えた期末が今日で終わり、来週がテスト返しと終業式です。
六甲のバザー
友人が誘ってくれたので、六甲学院のバザーにお邪魔してきました。地理的に受験生時代に六甲はノーマークだったので、今回が初☆訪問です。
なんというか、男子校の良さがギュッと詰まった学校だなぁと思いました。
小雨の中をふざけまわる生徒。
容赦なく叱る門衛さん。
その脇でPTAのお手伝いをする生徒。
ピシッと整理整頓された教室。
私は女親なので、息子が幼児の頃から男子の子育ては暗中模索。育児書を読みまくっての今です。男子校に入れたかったのも、私にはできない男の子向けの子育てをしてほしかったのもあるります。
六甲学院は、男子の傾向を分かった上で自由にさせるところと、規律を守らせるところ、躾けるところなんかのポイントを押さえて教育しているように見えました。
なんて話を招いてくれた友人にしていたら、ぜひ体育祭(残念ながら今年は済)に見に来て、六甲の真髄は体育祭!と力説されました。
来年、都合つくなら見に行って見たいな。
そしてやはりここでも六甲ベアー。
友人が興味がなかっただけに、会場入りしたのはバザーか始まってからなので、開始早々に売り切れたものがどんなものかは知らないのですが、11時から始まる籤引きで、限定20人しかアタリがない机椅子付きの六甲ベアー(冬服ver)、当てました!引きました!、
謹んで招待してくださった友人に当たり券を進呈✨。思いのほか喜んでくれました。手に入れてからジワジワと嬉しくなったそう。良かった〜。
大阪北部地震
先日の地震、ここにお立ち寄りくださった方々はご無事でしょうか?。被災された方々には、心からお見舞い申し上げます。
我が家も、深刻な被害に遭われた方からみたらささやかですが、少なからず巻き込まれました。
娘が学校にすでに到着していて、学校で点呼と安全確認をされた後にとりあえず授業。周りの交通手段は止まっていて、大半は帰れないからかと思います。それでもお昼で学校はなくなり、帰宅手段を先生に申告してからいつもとは違うかなりの遠回りでの帰宅してきました。家にたどり着いたら先生に連絡を入れるように指示があり、メールで報告。
夫は地震の時は東京行きの新幹線に乗っていて、小田原あたりで停止し、しばし缶詰。これは位置は離れていますが地震の影響だそうです。
灘は直前の甲南定期戦の代休で学校が休みでしたが、息子はこれ幸いにと遊びに出かけたがために、運休や遅延で帰宅に時間がかかりました。
私は職場に出社できない人が多数だったため、出勤した人数でなんとか日常業務を行う、など。エレベーターも止まっていて、上層階のオフィスまでは階段でした。
でもこれはまだマシな方。
子達のクラスメイト、友人、私の友人も被災エリアにお住いの方々も多く、外壁にヒビが入った、瓦が落ちていた、食器棚が倒れた、本棚が倒れた、テレビ台が移動していたなどの話はポロポロ聞きます。
今でも阪急に乗っていたら、高槻あたりでは屋根にブルーシートをかけた家々があるのがわかります。
翌日、いずれも学校はありました。ただ交通手段がない場合、自宅が被災している場合は公欠。灘は交通手段の遅延もあり、授業開始が遅くなり、短縮授業が行われました。ともに欠席されてるお友達もいらしたそうです。
交通機関は一旦朝の段階では大阪モノレール以外は復旧していたものの、またすぐに止まったり遅延したり。
そのせいで起きたラッシュを人生で一番の混雑と感じた息子は、自宅最寄駅で電車から降りられなかったらしく、次の駅まで行ってしまいました。非常時に頼りになるのは人の善意ですが、それ以上に皆必死で余裕がなくなることを、彼は体験したようです。それが社会のリアル。
こんな非常事態の場合、距離ある通学は親としては本当に不安になります。私でも感じるのだから、新幹線通学の方なんて、相当だと思います。どんな前例も参考にならないだけに。
うちの2人も歩いて帰れる距離ではないので、連絡がつくまで、無事な姿を目にするまでは安心できませんでした。それは地震から一週間経った今でもそう。
冷静になること、臨機応変に対応すること、いろんな状況変化を想定すること。大人でも難しいことを子達にもやってと言っています。
このまま無事収束していき、日常が一日でも早く取り戻されることを祈らずにいられません。
教養って?
もう終わってしまいましたが、まだ寒い頃、朝一番から京都の国立近代美術館でやっていたゴッホ展に行ってきました。
子供たちを連行したかったのですが、部活やら友達の方が引力が強く、あっけなく振られました。夫は会社の人とスキーに行くとかで、前からカウント外。だから1人でピューっと身軽に。
ひさびさに心が潤う時間でした。見たいように見てるだけなので、人様に偉いことを言えるようなものは何もないのですが。南仏行きたい…そこからゴッホの逆でまだ見ぬ南仏に、日本から想いを馳せてみました。絵は描かないけど。
絵や音楽や演劇などの芸術にまつわるものは、見て聞いて、学んで識って、実際に行う側になって、それぞれの段階で初めて生まれる感性ってあります。そう思うから子供たちを連れて行きたいのですが、うちの子たちは幼い頃は訳がわからず、ティーンの今はそんなことより部活か友達と、私の思惑通りに動いてくれません。
じゃあ、娘はともかく、息子が私と2人で絵画展に行くとなると、親より友達と遊びなさいよ〜っ!と思う気がする、複雑な親心なのです。ということは、まあまあ順調な十代の思春期を過ごせているのかも。
話を元に戻しまして、この想いを先日娘の習い事の先生と熱く語りあえました。
先生もやはりお子さん方もご自分も、足繁くいろんな場所に足を運んだとのこと。そこで先生のモットーは、なるべくご自分の専門とは違うジャンルに触れること。そこから生まれる新しい感性に期待をされているのがよくわかります。私の母と同世代の先生ですが、作り出されるものはいつも瑞々しいエネルギーに満ちているのです。
灘の合唱コンクールでびっくりしたのですが、ピアノを弾ける生徒が多い!。きっとそれも、感性を育むことを期待して親御さんが習わせてらしたからかなぁと。
うちの子は、息子はスポーツの習い事が忙しくなり辞めて、娘は私に叱られながらの練習が嫌で低学年で辞めたので、なかなか思い通りにはいきません。私自身は結婚するまでは細く長くピアノを習っていました。その思い入れもあったのですが、子供は子供の人格があり、彼らが選ぶ道があって親の思い通りにはならないと痛感した一件です。
乗り越える壁
タイトルの割には大したことでは無いです。
でも、いざそれを行う子にとっては、ものすごく難しいと感じていた壁。自分で心の中に勝手に高くしていたからなのですが、越える瞬間にはとてつもなく勇気が要る。そんなことに我が子の1人が直面しました。
親としては乗り越えてほしい。傷つくかもしれないけれど、ぶつかっていってほしい。でも、その勇気や勝負勘がその子にあるか。今までの傾向なら、たぶん逃げることを選ぶ気がする。ここで逃げてしまったら、逃げ癖がつくかもしれない。勇気を出してほしい。望みすぎかもしれない。どうするだろう。見守るしかできないことで、悶々としていました。
なんとか、ちょっとだけ、何を原動力としたのかわかりませんが、乗り越えてくれたよう。そのことに心底ホッとしました。
そして予想通り、色んな不安心配は杞憂だったことも体感したようで、これをもとにややこしい状況なぞ作らないでほしいものです。
これは、学力なんかとは全然違うジャンルのことです。
人と関わって生きていく限りは一生いつでもぶつかったり悩んだりするだろう壁。次に同じことがあったときは、乗り越えられないかもしれない。
でも、一度でもクリアできた経験は、きっとどこかであの子の支えになるはずと信じるしかない親世代なのでした。
神女の体育祭
はじめて体育祭を見たのは入学後です。
文化祭やバザーと違って、体育祭は一般公開行事ではありません。
入学して早々に、早朝練習やリセス(中間休み時間)に早弁して昼休みは練習だと大騒ぎしていましたが、私はへー、ほー、ふーん…としか思ってなかったのです。
ところがところが、初めて体育祭を見たときに、この学校の真髄を見た気がしました。
運営は全て生徒。当日までの競技の練習日程の調整、エントリーしている選手を召集して練習させるのも生徒。当日の放送や、はたまたリレーの空砲を撃つのも、ゴールテープを持ってるのも、順位を見極めるのも。全部全部生徒がします。
もちろん先生方は監督に、要所要所にいらっしゃるようですが、気づかないほど生徒主体なのです。
授業では体育祭の練習はしません。空き時間を見つけ作りして、早朝や昼休みや放課後にそれぞれで練習をします。
また、体育祭は組対抗ですが、クラス関係なく縦割りで6つの組に分かれます。そしてそれは6年間持ち上がり。
あ組、い組、み組、は組、い組、ゑ組。
学年カラーと混ざるので書きませんが、それぞれにカラーが決まっています。この組み分けで、クラスとは別に、このクラスや学年を超えた繋がりができるのです。入場行進は力が入っていて、昼休みに練習はかなりあります。
ちなみにどの組も組Tシャツを作っていて、これは年々先輩方からの寄せ書きでいっぱいになっていきます。6年間の重みがこんなところにも感じられるよう。
基本はこの組で獲得点を競い、優勝を狙います。
それとは別に生徒が力を入れるのが、学年別対抗の学年パフォーマンス。通称学パ。学年ごとのマスゲームで、入学早々で準備のできないJ1以外の学年で行われます。
どの学年も前年度から学パ委員が曲を決め、編集し、振りとフォーメーションを決め、学年のみんなに教え込み、衣装をデザインし、布を切り分け、行います。使えるメインカラーは学年カラーと決まっています。
ちなみに作るのは親の仕事。お裁縫が得意な方は大丈夫ですが、うちはGWからしばらく大変でした。大変ですが、学パを観るのは非常に楽しみなのです。
どの子もヒロイン✨。
どの子も可愛い💕。
親も応援しないと。自然と力が入って、私たちも実は学年カラーを身にまとって応援します。だからこの日に学校にあつまる保護者の服を見たら、たぶんお子さんの学年は予想できるという…。保護者カードがあるんですけどね。