子供たちと走り抜けた関西中学受験の備忘録

私たち親子の中学入試までの日々を振りかえり、少しでもこれから挑戦される方の参考になればと思います。

You can't choose passions, passions choose you.

私は見てない(探しているのですが辿り着けず)のですが、これはJeff BezosがしばしばYou tubeのインタビューで言ってるらしい言葉だそう。

 

常々、息子の淡々と日々を過ごす様子が歯がゆい私。

彼には彼のペースがあり、本気になった時はまた違うとそれなりにわかっていても、早く次の情熱を見つけてほしいと思うのは、親心からだと思うのですが。

そんな時に聞いたのが、これ。

息子はまだ選ばれていないのですね。

………じゃあ探しに行けばいいのに、というのは私の心の中の独り言。

 

灘や東大寺という学校を志望校として掲げるのをよしとした理由の最大のものは、東大合格率じゃない。熱くなれる何かを見つけて没頭して成果を出している先輩方が多くいたから、です。

極端な話、見つけたものが学歴の関係のない世界なら大学なんて行かなくていいとも思うのです。学歴なんて関係のない世界で勝負してる人達は、世の中にたくさんいらっしゃいます。

 

6年間という時間を手に入れても、その6年はあっという間に終わる。若さには、期限直前まで時間を無限に感じさせる魔力があるので、なかなか気づきませんが。

その前に、これと思えるものを見つけ、その情熱に選ばれますようにと願ってやみません。

 

娘はある情熱に選ばれたようです。

それに応えるべく、関連する本を読み、あそこに行きたい、この資料を見たいと主張します。

何につながるのかはまだわかりませんが、母は緒方貞子さんを目指してくれないかと密かに妄想中。

 

追伸  リンク見つけたらまた貼り付けます。

 

子供の心

さて、メンタル。

見守る親もそうですが、一番大事なのは子供のメンタル。親以上に気持ちが追い込まれる子もいます。

生まれ持った性質や、そこに至るまでの人間関係の色々や、今囲まれてる仲間との関係など、子供の数だけパターンがあり、またそれもずっと同じではなく揺れ動くもの。こうすればいい、なんて答えも正解かどうかわかりません。

ただ一つ、親が心に余裕がないと子供にはゆとりが生まれないのは、きっと皆様なんとなくわかってらっしゃるはず。

 

そして子供が持つ余裕と油断は紙一重。謙虚に余裕あるように頑張るのは、大人でもなかなか難しいものです。子供ならなおさら。だって夢に向かって普通ならばまだまだしなくてもいい受験勉強を、頑張ってるから。少しくらい手を抜きたくなるのは、人間だから。

たまーにまれーに、優秀なのに謙虚で努力を欠かさない、素晴らしいお子さんがいらっしゃいます。それが息子の馬渕時代の所属校舎でも、今の部活でも息子の1つ上の先輩なのですが、もう本当に人格者。私が部活を見学に行ったら、爽やかに挨拶に来てくれたりするのです。ハートは撃ち抜かれます。彼は後輩の至らないところを、部活だけでなく学校生活でもちょくちょくフォローのメールをくれたりするのに、勉強も上位一定ラインをキープされているそう。何を目指されてるのか知りませんが、彼のような子にこの国の未来を託したいのは私の願望です。

彼のお母様に子育て秘訣はないかお伺いしましたが、特になにもしていないとおっしゃる…ので、今の時点での結論は彼の持って生まれた才能という、追いかけるものにとっては頑張り甲斐のないもの。例えそうであったとしても、彼の背中を我が息子には追いかけ続けてほしい。

 

ちょっと横にそれましたが、メンタルです。子供って、そんなに弱くない、というのが私の見方でした。
もちろんガラスのハートの子もいるだろうし、そんな子に会ったことないからだという指摘もあろうかと思います。本当に辛くて辛くて追い込まれた子は、色んな意味で危険なので、逃げ場は作ってあげたいとは思います。でも、そこまでになってる子がどれだけいるのか⁉︎。

見たところ…我が子と、息子がいたサッカーチームの子たちと、役員をしていた頃に学校の出入りが頻繁だった頃に触れ合ったあたりが私の知る例となりますが、親に見せる顔と友達に見せる顔は違います…よね?。結構ちゃっかりしなやかに切り抜けたりできるもの、と思えるのです。

心は体のように熱が出たりするものではなく、子供の申告ベースを親は心配するしかない。そして本気で対処せねばと行動します。その旨味を知ってしまった子は、塾が辛い、なんていうサインを出すようになることもある。本質は宿題が出来てない、なんてことかもしれないのに。そこでの見極め…難しいです。きっと、どの親御さんも原因を見つけて一つ一つ取り除いてあげたいと思っているはずだから。

子供のそんな言葉から転塾を繰り返されていたご家庭がありました。やはりそれも、お子さんの心を心配されてのことかと。お母様がお子さんにとってベストと思われることを悩み、選択されている様子は見て取れました。

我がことながらクリアなのは、そんな申告があったら塾を休むか受験やめるかを迷わず提案したと思います。なんちゃってなら、そこで辛いのは無くなると思うし、本気なら勇気ある撤退になると思うので。

私は、志を高く持つという意味では、子供たちを結構追い込みました。意識を持って、結果を出すまでが努力、選んだ学校への本気を示して…なんて。よく付いてきてくれたと思います。

ただ、最後に必ず一言つけくわえてました。中学受験は1つの選択肢で、辞める道もあるし挑戦する道もある。成功もあるし失敗もある。どれもが未来に繋がってて、どれが描く未来図に最短かはわからないし、最短でないほうか結果的に良い事もある。答えなんておじいちゃんおばあちゃんになって死ぬ瞬間までわからない。でも1つ確実なのは、決めたことに対して積み重ねた努力は自分に誠実で自分を裏切らない。

小学生の子供たち、理解してたとは思えないけれど、どこかで心にひっかかってくれてたらと思います。 そしてこれは、あくまで私がうちの子たちを見て、感じながら調整してたこと。

 

先日私のルーツのある学校で、ショックなニュースがあったと聞きました。自分で考えて来たことが、正しいと信じ切ってはいけないと襟を正した話でした。一概に、こうすればいいと言えるものではない…。それを痛感したのです。私のような親が、子供のサインになかなか気づかないのかもしれません。

今だって子供たちにガミガミ言います。先週末もお手伝いのつもりでしてくれたことが、10月から準備して来たことがおじゃんになる結果となり、ものすごく怒りました。あれは私の手間が増えることへの怒り。八つ当たりも含まれていて、かなり後で反省しました。私も母親を彼らと同じだけの年数しかしてないし、彼ら以外を育ててないんだなぁ…。まだまだ未熟者です。

私の言葉や行動が、子供たちの心を傷つけてないとは言えません。日々反省…。三歩進んで二歩?三歩?下手したら四歩下がってたりするかもしれませんが、ひとりひとりの人間として尊重することだけは、忘れないでいようと思います。

ちなみにその後、彼には怒り過ぎたことを謝りました。

Holiday Season

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おはようございます。

神戸女学院、灘ともに期末試験期間まっさかりです。我が家にとっては、毎回安心できない怖い怖い定期試験。願わくば、冬休み前に少しでいいので、心安らかにいられますように。

 

今日は女学院のクリスマスをお届けします。

娘が撮ってきた写真を、頼み込んで貰いました。

今年挑戦される方は、来年ここで賛美歌が歌えますように、お祈り申し上げます。

 

テレビからスマホ

スマホ育児も話題になってますが、ぶっちゃけ私はテレビ育児でした。

ひたすらベイビーアインシュタインのビデオを、BGMのかわりに流していました。テレビに取り憑かれていたなぁと思います。そして良し悪しは別にして、おおいに助けられたなぁとも思います。

 

祖父母と同居していた私の実家は、母が嫌がってもテレビ付けっぱなしな環境でした。祖父母はそれが娯楽でしたから。母はやっとのことで食事の時はテレビを消すことを了承させます。ただし夕飯のときだけ。

そんな環境で育った私も、見ていなくてもテレビの音が付いている方が落ち着く人間になっていました。そして、その弊害がよくわかっていなかった。

 

実際に子供が生まれ、育てていく中で、テレビはとても有り難かったのです。でも、この情報はあくまで与えられるもの。中身もフラットなものかどうかはわかりません。与えられることに慣れすぎた頭は思考停止してしまい、自分の頭で考えて判断できなくなるのかもしれません。

 

ゼロから…で書いた、幼い頃にヤンチャな人たちはテレビを見ないと口を揃えて言われます。これ、私の出会った人々に限り共通項でした。なので必ずしも、でなはいのですが、何かそこに答えはあるのかもしれません。その人たち、必要な情報はネットなりなんなりで、自力で収集し判断されるそう。

その方々の幼い頃に、テレビがどんな位置付けだったのかは知りません。少なくとも成人になってから、仕事を始めてからは違うように見えます。スマホにしても持ってらっしゃるようですが、移動の時に、時間を浪費するだけになるネットを見たりゲームをしたりではなく、電話であり勉強道具でり時刻表でありPCの代わりでありと、あくまで目的のある道具として扱っておられるように思います。漫画もゲームも消費活動です。目的のある行動は生産活動です。これに気づいた時、なにか掴んだような気がしました。

そして間違いなく、その人たちは紙の本の読書量がすごいです。デジタル媒体がいくら出回ろうと、それは変わらないよう。

小学校や中学校の頃、私も本の虫でした。学校の本は全部読み尽くす気でいましたし(してませんけど、意気込みだけ)、まだ土曜は半日授業があったので帰りはどこかの本屋さんに寄って夕方まで立読み(本屋さん、ごめんなさい🙏)。でもその気合いは大人になるにつれ忘れていたようです。

 

そして今、うちの子たちに言ってること。私もやり直してること。いっぱい本を読もう。

芥川龍之介夏目漱石川端康成太宰治などなど。あたりまえのように知っている偉人たちの本を、実は改めて読み直しています。今ではつかわれない言い回しが、とても美しいと感じます。そのあたりの感覚は、うちの子達はまだわからないよう。お子ちゃまだなぁ…。

お子ちゃま我が子の本棚に、さくっとそれらの本を並べています。近々ふと手を伸ばしてくれることを願って。

 

専業か兼業か

もう話題になりすぎて食傷気味の、専業主婦・兼業主婦論争ではありません。

 

長ーい受験勉強の期間に、何度かお母様方の心は揺れていませんか?。子供と向き合う時間の長短についてです。だって私がそうでしたから。

各家庭事情、子供との距離感、性格、将来図など色々背景が違うので、ひとまとめに語れるものではありません。でも、子供をサポートしたい気持ちは一緒ということだけでも感じていただけたら、少しは迷いの中にいらっしゃる方も楽になるかな?の内容です。

 

私は今はフルタイムの契約社員として働いていますが、受験期はパートタイム勤務でした。

小学校の役員をノルマの数だけ終えた時、無性に働きたくなったのです。でも学童はいっぱいだし、いきなり子供たちの手を離すのは難しく感じて、とりあえず子供の帰宅時間くらいに帰れる仕事につきました。

その時期と中受塾通いスタートは、やや塾の方が2〜3ヶ月ほど早かった。最初の頃、塾は土曜だけだったので、平日はあくまでも他の習い事に連れていける時間に帰っていました。日によっては習い事の教室で子供たちと待ち合わせしたり。

そして学年が上がり、夜の塾弁が始まると、パートでないとお弁当作りが大変とわかりました。会社に掛け合って勤務時間を1時間繰り上げてもらい、パートから帰ってお弁当を作ったら塾へ送り出す日々でした。この時期は、私はパートだから乗り越えられたと思います。

 

 友人で、正社員でずーっと働きつつ、双子ちゃんを洛南と六甲に入れた方がいらっしゃいます。

彼女なんかは息子さんたちとの連携が素晴らしく、旦那様と手を取り合って乗り切られたのが見て取れました。間違いなくうちでは無理…。

 

ポイントは

 ⚪︎お弁当準備

⚪︎勉強のフォロー

⚪︎そしてお母様自身のメンタル

 の3つ。

 

お弁当は、私は仕事から急いで帰宅して作って、子供が家を出るのに間に合わせて送り出しました。

他には先に子供だけ行かせて、ご飯の時間に暖かなお弁当を届ける方も多いかと思います。

上記の友人は、朝の出勤前におかずを作って冷蔵庫にいれ、夕方に帰宅した子供たちがご飯を詰めて持参するパターンでした。

家庭によって色々やりようがありますので、柔軟に考えたら何とでもなりそう。

 

勉強のフォローですが、私はフルタイムじゃ疲れ切ってできなかっただろうなと思います。

息子は"無理です!"と6年に関しては馬渕に完全にお任せしましたので、勉強のフォローしてません。

娘はこのブログを読んでくださった方はわかるように、最後の3ヶ月は張り付きました。今だから思いますけど、3ヶ月だから娘はついてきたような気がします。これが半年になれば、きっとそれか当たり前になり、ダレてきたんじゃないかな。

理想は子供が自分で決めてやって結果をだす、ですし馬渕の先生方はそうなるべく子供たちの意識を煽ってくださるのですが、そこはやはり小学生。見事結実するお子さんと、なんちゃってと、反応なしとに大きく分かれると思います。

何回か娘の成績の大波やおサボりのドツボに、なんで?なんで?を繰り返していた私ですが、まだ小6なんだ…と再自覚してからは、来年再来年には手を離すことを見越し予告した手出しをするようになりました。それが、例の怒涛の日々の始まりです。

今はあの時はあれで良かったと思えるのですが、勉強をしっかり見るためには退職したほうがいいのかも…と、片手以上は悩みました。

 

私よりももっと手をかけている方の話だと、語句調べは親が辞書を引き、子供は覚えるだけにしてあげる。苦手な問題ばかりをコピーして切り貼りして独自の問題集を作ってあげる。なんていうものがありました。

パートの私がとった対策はご存知かと思いますが、あれ以上は無理。となると、私がこの最高レベルと思われるフォローをするためには、専業主婦でないとできないと思います。そもそも私はそこまで手をかけることに否定的なので、ヤル気もないんですけどね。

まれにできちゃうフルタイム残業ありの方もいらっしゃるのですが、時間の作り方の講演会などしてもらえないか、本でも出してもらえないかと思うのです。睡眠を削る以外での方法で!。

ここでなぜお父様でないか?、は私が1人でもがいていたからと、私の周囲はお母様が受験に関しては一手に担っていらしてお父様はお迎えのみなんてパターンばかりだったからです。人様のブログを読んでいると、勉強のフォローに関してはお父様がされてるご家庭もたくさんありますよね。そういうお父様はどうやって時間を捻出されてるのか、知りたいところです。

 

そして3つ目。親のメンタル。

子供を少しでも希望に近づけてやりたいと、イライラしたりモヤモヤしたり、なってませんか?。

防ぐためにはある程度の距離感が必要なんじゃないでしょうか。近すぎると、見なくていいものまで見えてしまう。それを避けるために、私は働き続けることを選びました。家にずっといて、彼らのことメインで考えていたら、きっと私のイライラはもっと加速したような気がします。

子供は親の付属品ではなく、ひとりの人格です。 それを同一視するのは、子供ではなく親の方。

だからこそ、親はそれぞれの世界を持っておくべきかなと思うのです。仕事もよし、趣味もよし、役員もよし。お子さんと良好な関係を築いている人ほど、自分の世界をしっかり持ってらっしゃるような気がします。その方々を心の中で師匠と呼び、見習わせていただこうと思っている私なのでした。

 

 

ゼロからつくる

外で遊ぼう、と繋がる話しが多いです。

そしてこれも読んだ本からの知識であり共感した考えであるので、私独自ものではありません。

 野外活動。

自然の中で過ごす時間は、予測できないことが多く、子供にたくさんの良質な刺激を与えてくれるそうです。

 

そういえば、『空気の匂いとか空の高さで季節ってわかるよね?』と子供たちに聞いたことがあるのですが、ぽかーんでした。娘は金木犀の匂いでわかるとか、息子は気温を感じるんと違うん、という反応でしたが違うのです。季節ごとに匂いがあるのです。

季節感を目に見えるものでまず感じてしまう街中ではなかなか厳しいけれど、春は草や土の匂いが日々瑞々しく強くなってくるし、夏は今が生命力の頂点といわんばかりの草木の匂いや虫の匂いに遠くで降った雨と熱気で熱くなったアスファルトの匂いが混ざって漂ってくるし、秋は香ばしい枯葉の香りが日々澄んでいく空気に広く拡散されていくのを感じ、冬は冷たく寒く大気のチリやホコリも静かに地面に落ちて高い空からいずれ降ってくる雪の匂いがします。なんて言葉で書いたら陳腐なんだろう。また季節の変わり目も違うのです。残念ながら28歳の頃にデビューした花粉症のせいで、ときどき季節感どころではなくなるのですが。

この感覚は、やはり私の幼い頃に繋がっていきます。原風景は田んぼから見上げた山々ですから。

 

電子画面でチカチカ与えられるものも、多いでしょう。便利でしょう。

でも、使いこなすものであり、使われるものではありません。今の子供たち、使われてますよね?。そして私たち大人も、きっとそちらに時々傾いてしまう。

キャンプに行ってください。いっぱい行ってください。大人もその時はアナログな本しか読んじゃダメ。もちろん子供も電源のいるゲームはダメ。やるならカードゲームが限度です。ひさびさにトランプタワーを作りましょう。大人も酔っ払って作るとなかなか難しいので、妙に盛り上がります。

それ以前にテントを張るのも大変。火をおこすのも大変。ご飯を作るのも大変。防寒も防虫も大変。夜に雨が降るかもしれないからそこも対策を。誰か1人だけの頑張りじゃ乗り切れません。参加してる誰もがなにかを担わなくては。

まだうちの子達が未就園児だったか幼稚園の年少さんだったか、関東に住んでいた時に連れて行ったキャンプで、彼らは枝と木の葉を集めてルールを作り、独自ジェンガもどきで遊んでいました。

また別の時に友人家族といった時は、やや年上(それでも小学3年くらい)の発案で、たしかヤマモモを拾い集めて他サイトの方に配り、時々おやつを貰って帰ってきたりとか。彼女の企画力に脱帽した思い、今も強く残っています。こちらのご両親は幼少期はとにかく遊び重視の方々でした。

余談ですが、この時に某キャンプ雑誌が取材に来ていて、なんと表紙になりました!。友人宅のオレンジの車が表紙映えした模様。

 

何かしら子供には遊びを作る力って備わっているのだと思います。それを、DSや携帯という枠があることで伸ばせなくなるのじゃないかと、ちょっと不安になります。ツールはツールとして使えばいい。でも、それが無くても退屈だとかする事が無いと感じるようならば、問題あり。ゴムはまめに伸ばしてると柔らかく伸びますが、コチコチになるまで放っておいたのを急に伸ばすとプチっと切れるのと同じイメージなのです。

きっとその先の人生、人が決めたことをすることを上手にすることはできるでしょう。勉強しかり、仕事しかり。

じゃあいざ、人の上に立つような年齢やポジションに立った時。部下に指示できるようになるでしょうか?。決めることはできるでしょうか?。自分の責任で部下に挑戦を促せるでしょうか?。

既存のものを改善すべく、分析し、組織に提案し、プレゼンし、試行し、最後に組織に浸透するまで面倒みきれるでしょうか?。

勉強できて東大京大医学部に入れる力と、creativeだったりinnovativeな仕事ができる力は別なのだと思うのです。会社に入り組織に入った後に、誰かが教えてくれるものではないし、教えられるものならばそれ以上のものではないからです。枠を作った人以上にはなれない。

もちろん、勉強も創造力もどちらの要素を持った方もたくさんおられます。でも私がたかだかウン十年で見てきた中で、仕事を作り出せる人の多くって子供の頃にいい子ちゃんでは無かっただろうな…と、思わせる何かがあるのです(笑)。あの時代のヤンチャは、家の外を走り回っていた、サザエさんのカツオのヤンチャであったはず。

NHKプロジェクトX的なことを成し遂げた人たちは、古き良き昭和の人々で、工夫しなければ便利にならず、どうすればいいのか足掻いた結果が"風の中のスバルであり砂の中の銀貨"なのだと思います。

満たされている与えられている現代っ子、ゼロからモノを作り出せるのか、次世代を担えるのか…。これがまさにうちの2人ともが直面している問題。だから答えはありません。ハングリー精神なんて見当たらない彼らに、必死になれと言い続けたり、そんな環境が与えられないかと知恵を絞ったりしてるのが日々の私。

それこそ、こんなことやってみて効果があったよというものがあれば、ぜひ教えてください。

 

外で遊ぼう

もう一度子育てするなら、絶対したいこと…田舎で育てる。

というのは極端ですし、『無理、無理!』と言われそうですが、できるならもっと野外で自由に遊ばせられれば良かったと、実は今さらですが結構後悔しています。

 

我が子たちの通った小学校は、設備に対してかなりのマンモス校でした。中間休みや昼休みも、体育祭と運動場の割り当てが決まってる時しか遊べず、遊具も鉄棒と一輪車くらい。外遊びといえばドッジボール

学校でこんなのなのに、学校外でも現代は多くの子が、あまり運動しない生活をしています。公園に集まってゲーム。友達の家でもゲーム。公園にいっても球技禁止であったり遊具も安全なものばかり。

運動したければ、お金を出して習い事という環境でした。

 

まず走り方。

実は5年生くらいのころに運動会を見ていて、なんだかこのままではマズいかも…と思ったのです。

典型的な街中の小学校の運動会。たくさんの子が、上級生になっても走り慣れない走り方でした。腕の振り方、足の上げ方、上体の傾け具合など、かつて親世代は稀にいた運動が苦手な子の動き方を多くの子がしていました。

娘はまさにそのもの。頑張って走るのですが、インドア派と胸を張って言うくらい当時運動が嫌いでした。走るのは当然遅かったです。中学で部活を始めて、運動する底力はみるみるつき、走り方も変わりましたが。

息子も、サッカーをちゃんと始めるまで素人目にも遅いとわかる小股のガニ股でしたが、ボールを追いかけるうちにいつのまにか普通のフォームになっていました。

うちの2人に関してはある程度人並み近くになったので一安心していますが、運動も才能とかいう以前に普通の運動量が必要なのかもしれません。 また、中学に入ってから変わるのを期待するのは危うい。子供の心には運動が苦手と刷り込まれてますよね。親世代が鬼ごっこやケイドロで走り回った量の半分も、今の子は走ってないです。

ちょっと余談ですが、先日私、健康診断に行きました。いつでもどの国でも採血しやすい💉と褒められるのです。先日の採血担当の看護師さん曰く、血管の太さって子供の頃の運動量で変わるそうです。人生の中で血管太くて助かることはそうそうないですが、何か病気をして入院してから、歳をとってから、血管になにかをしなくてはいけないことが増えてから実感するそうです。

 

そして水泳。

学校の授業だけでは泳げるようになりません。これ、ビックリでした。

スイミングに行ってない子、どれだけいるでしょうか⁈。ベビーの頃から習いやすいのもあって、見回せば相当割合いるはずです。

私は、自分がそうだったのもあって、学校の授業で泳げるようになるはずと信じてました。あらら?顔もつけられない⁇、となり某スイミングの夏休みや春休みだけの季節講習を受けさせました。が、泳げない。10mとか、20mとかでしか届きません。

いや目指すは"最低"25mやし、と仕方がないので4年生の時にお金を払うスイミングには見切りをつけ、他市の市営プールに何度か通い、私が教えました。遊びのない、大人もひたすら泳ぎの練習をする、レーンがレベル別にわかれた室内プールです。ひらぱーじゃダメ。結果、リューは2回目、マイコは1回目でクリアです。なんだったんでしょう…💦。

ちなみに、東大寺帝塚山は臨海学校で遠泳があります。プールとは違う、波や潮の流れのある海で、自分の泳力に合った距離を泳ぐそうです。

学校だけで泳げるはずと思っていた私は、関西の某田舎で育ちました。休みの日は近くの川で泳ぎ、夏の家族旅行は毎年若狭の岩場での海水浴のみ。自転車で高速さえ乗ればどこでもいけると信じた万能感。小川は飛び越えるもの、田んぼは走り回るもの。ただひたすら遊んだ小学生時代です。我が子と比べても、めっちゃ田舎の子でした。

そういえば、もうすぐお正月ですが、凧揚げも羽根つきもしたことがありません。お正月を過ごす夫の実家は大阪。私の実家周りも新興住宅地になり、そんなスペースは無くなりました。私は凧揚げは電線のない田んぼでしましたが、秋に刈られた稲の残りに霜が降りて、踏みしめたらザクザクいう感触なんて、きっとうちの2人は知らないんだろうな。

 

そして何より、予想外のことに対応する力。これが全然足りないように思います。

親世代は自転車で走り回ったり鬼ごっこしたりベーゴマしたりゴム跳びしたりブロック塀を平均台にしたり。たまーに公園のブランコを上の支柱に一回転させて高めで漕いだり、何人乗れるか試したり、飛び降りの距離を競ったり、滑り台をへんな体勢で滑ることを競ったり…って多少のヤンチャ、皆さん覚えがありますよね?。

今や、安全上の理由からこんなことは出来ません。改良され、撤去され、今の子達は知り得ないプチ冒険から親世代が学んだことは多かったはずです。転んだ時の受け身くらいは取れて当たり前でした。今の子、取れません。顎ひきません。

これは、勉強では絶対得られない。動いて体験してヒヤッとして、思い知るものだからです。

 

当然親は子のことを心配するものですが、親の目をかいくぐって無茶をできる環境が、田舎にはある。

逆に都会は、街中は、過保護を過保護のままで居られてしまうのかもしれません。

 

だから、まだ低学年、もしくは小学校前のお子さんがいらっしゃるご家庭には、ぜひ野外の時間をたっぷりとられることをお勧めします。

できるならキャンプに行ってください。それか、ボーイスカウト&ガールスカウトのアウトドアを。

本当に色々なことが起こり、対応が必要になります。テントが倒れかけたり、火がうまく付かなかったり、ご飯に芯が残ったり、ベチャッとしたり。親も大変ですけどね、得るものは大きいはずです。きっと体験したことない子は、中学生でも飯盒でごはん、炊けないと思います。うちの子達を含めて。

 

そういえば、 私の高校の同級生が『森のようちえん』という、校舎を持たない幼稚園を主催しています。雨の日もカッパと長靴で、屋外のみですごします。

この存在を知ったのは小学校に2人とも入ってしまってからでしたが、もし未就園児のころに知っていて、近くに住んでいたならば行かせたかったなぁと思いました。

自然から学べることは本当に多いのです。それは勉強する力ではなく、生き抜く力につながるのではないかという気がします。

 

長くなるので、次の"ゼロから…"に続きます。