子供たちと走り抜けた関西中学受験の備忘録&中高一貫校でのアレコレ

うちの子たちの中学入試振り返りと、その後の学生生活でのあれこれを、時系列はばらばらですが気侭に書き散らかしています。

話し言葉の不思議

気のせいかもしれませんし、気になっているからその子たちだけ私の意識に引っかかるのかもしれません、と前置きして。

 

子達が友人としてる会話って、不思議なところってありませんか?。会話してる子たちは理解してわかり合っているけれど、周りで聞いていても何のことやら…と思う会話が多いのです。共有情報部分は端折ったりしてるんだときづいたのは、最近のこと。遅いですか?💦。

東大生をイジるテレビ番組もありますが、その出演者も同じ傾向があります。そして誰だったか、東大生同士だと会話がスムーズに出来るけれど…ほかの大学の学生だと話が通じないと話していた東大生がいましたっけ。

 

先日、ふと友人何人かが我が家に遊びにきていて、その会話を聞きみみずきんしていて、思いあたりました。ピカーンと🌟。

彼らはもしかして、頭の中に情報がいーっぱい詰まっていて、その全部を話したいのかも⁈。だから共通言語は端折る。お互い理解できる部分は省略する。そしたら脇で聴いてる人間にはなんのことやらわからずチンプンカンプン、という絵です。違うかな?。子世代を理解したい母の想いなのですが。

 

話って、全てを語らなくても良い部分ってあります。オチの顛末の顛末まで言うと逆にしらける、みたいな。

仲間内ではわかりきったことは略す時のくせで、仲間外に話すときも"つい"略して(そしてそれがだいたい主語や目的語💦)、聞いてる人からは意味不明になってしまう、なんて構図かなぁと。

 

誰もがそうだと思わないで!、というのは子供たちに良くいう言葉。彼らの会話…お友達が来てくれててもそうで、かなり独特です。

友達同士ではそれで良いとして、彼らの世界が広がる前に友達以外への対第三者への話し方を身につけてほしいものです。

………やはり場数が必要かな💦。