子供たちと走り抜けた関西中学受験の備忘録

私たち親子の中学入試までの日々を振りかえり、少しでもこれから挑戦される方の参考になればと思います。

大阪北部地震

先日の地震、ここにお立ち寄りくださった方々はご無事でしょうか?。被災された方々には、心からお見舞い申し上げます。

 

我が家も、深刻な被害に遭われた方からみたらささやかですが、少なからず巻き込まれました。

娘が学校にすでに到着していて、学校で点呼と安全確認をされた後にとりあえず授業。周りの交通手段は止まっていて、大半は帰れないからかと思います。それでもお昼で学校はなくなり、帰宅手段を先生に申告してからいつもとは違うかなりの遠回りでの帰宅してきました。家にたどり着いたら先生に連絡を入れるように指示があり、メールで報告。

夫は地震の時は東京行きの新幹線に乗っていて、小田原あたりで停止し、しばし缶詰。これは位置は離れていますが地震の影響だそうです。

灘は直前の甲南定期戦の代休で学校が休みでしたが、息子はこれ幸いにと遊びに出かけたがために、運休や遅延で帰宅に時間がかかりました。

私は職場に出社できない人が多数だったため、出勤した人数でなんとか日常業務を行う、など。エレベーターも止まっていて、上層階のオフィスまでは階段でした。

でもこれはまだマシな方。

 

子達のクラスメイト、友人、私の友人も被災エリアにお住いの方々も多く、外壁にヒビが入った、瓦が落ちていた、食器棚が倒れた、本棚が倒れた、テレビ台が移動していたなどの話はポロポロ聞きます。

今でも阪急に乗っていたら、高槻あたりでは屋根にブルーシートをかけた家々があるのがわかります。

 

翌日、いずれも学校はありました。ただ交通手段がない場合、自宅が被災している場合は公欠。灘は交通手段の遅延もあり、授業開始が遅くなり、短縮授業が行われました。ともに欠席されてるお友達もいらしたそうです。

交通機関は一旦朝の段階では大阪モノレール以外は復旧していたものの、またすぐに止まったり遅延したり。

そのせいで起きたラッシュを人生で一番の混雑と感じた息子は、自宅最寄駅で電車から降りられなかったらしく、次の駅まで行ってしまいました。非常時に頼りになるのは人の善意ですが、それ以上に皆必死で余裕がなくなることを、彼は体験したようです。それが社会のリアル。

 

こんな非常事態の場合、距離ある通学は親としては本当に不安になります。私でも感じるのだから、新幹線通学の方なんて、相当だと思います。どんな前例も参考にならないだけに。

うちの2人も歩いて帰れる距離ではないので、連絡がつくまで、無事な姿を目にするまでは安心できませんでした。それは地震から一週間経った今でもそう。

冷静になること、臨機応変に対応すること、いろんな状況変化を想定すること。大人でも難しいことを子達にもやってと言っています。

 

このまま無事収束していき、日常が一日でも早く取り戻されることを祈らずにいられません。